ブログパーツ ばるさん 「豊臣秀吉」の生涯を振り返る!(Ⅱ期ー①)






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「豊臣秀吉」の生涯を振り返る!(Ⅱ期ー①)

*この時期は「木下秀吉」は、織田信長の手足となって活動しています。
全体像が捉えやすいかと考え、「織田信長」中心の記述にしています。

 【Ⅱ期ー①】  上洛戦~近江三郡拝領まで

1568年(31歳) 織田信長、足利義昭を庇護し上洛を目指す。
1568年(31歳) 観音寺城の戦い(六角氏攻め)
1568年(31歳) 織田信長、畿内平定。足利義昭15代征夷大将軍に就任する。
1570年(33歳) 織田信長、足利義昭との対立が深刻化する。
1570年(33歳) 金ヶ崎の退き口。姉川の戦い。
1570年(33歳) 石山合戦、長島一向一揆(本願寺との衝突)
1571年(33歳) 比叡山焼き討ち。
1573年(36歳) 槇島城の戦い(足利幕府滅亡)
1573年(36歳) 一乗谷城の戦い(朝倉家滅亡) 小谷城の戦い(浅井家滅亡)
1573年(36歳) 木下秀吉、浅井氏の旧領江北三郡を拝領。木下>羽柴改姓。


▸ 織田信長の上洛
 
「織田信長」は、庇護を求めてきた「足利義昭」に応じ、上洛を開始する。
「天下布部」を目指すが大義名分のない「織田信長」と、「幕府再興」を目指すが軍事力を持たない「足利義昭」
お互いの思惑が一致した格好。木下秀吉もで上洛戦(観音寺の戦いなど)に参加している。

織田信長は、京の三好三人衆を追い出した。松永久秀は臣従を誓う。
唯一抵抗していた池田勝正を降伏に追い込む。
またたく間に「畿内」を平定すると、「足利義昭」は15代征夷大将軍に就任している。
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▸ 織田信長、足利義昭との対立が深刻化する。


足利義昭は、織田信長を父と崇めるほど感謝したが、その関係は長くは続かなかった。
傀儡を良しとせずあくまでも将軍たろうとした「足利義昭」と、
自身による天下布部を望む「織田信長」の対立は決定的だった。
「足利義昭」は、自身には軍事力はないものの、将軍の権威を活用し、
宗教勢力、他諸侯を誘導、対「織田信長」包囲網を形成し、織田信長を苦しめた。
浅井家の離反の理由も時期的に見るに、同盟国朝倉への侵攻だけでなく、
足利義昭も一枚噛んでいたと考えるのが自然でしょうか。

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▸ 金ヶ崎の退き口

織田信長が朝倉義景討伐を目指し、徳川家康、木下秀吉らを率い敦賀に進軍した。
越前に攻め込むという段階に差し掛かった時、同盟国、浅井の離反の一方が届く。
優勢状況からから一転、朝倉と浅井らに挟撃される形となる、
信長は「木下秀吉」「池田勝正」や「明智光秀」を殿(しんがり)として任命、退却を開始する。
戦国時代でも有名な撤退戦の一つとしてあげられる。
「木下秀吉」らの奮戦、朝倉・浅井の緩慢な動きにも助けられ「織田信長」ら諸将は京都へ落ち延びる。
殿を成し遂げた「木下秀吉」は、調略家の印象から脱皮、一角の武将として認知される。
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▸ 宗教勢力との対立

当時の宗教勢力は武装し、並の大名と相応の武力を持っていた。
延暦寺は、朝倉・浅井に味方し、石山本願寺は正面切って織田信長に敵対しました。
天下布部のためには、宗教も統制に置くことを視野に入れていた織田信長は、
長島一向一揆では、織田信興や、氏家卜全など有力武将を失うなど甚大な被害を受けていたこともあり、
焼き討ちや、虐殺など苛烈な処置を行いました。
現代の価値観ではありえない処置ですが、宗教勢力の武装解体は、
そこまでしなければ、達することはできなかったのかもしれない。
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▸ 織田信長、足利義昭を追放。朝倉家、浅井家を滅亡させる。

・金ヶ崎の退き口後、織田信長と徳川家康の同盟軍は、姉川の戦いで、朝倉・浅井家を破る。
信長包囲網の盟主「武田信玄」が立つ、足利義昭も呼応して挙兵するも、
「武田信玄」遠征中に病死。足利義昭は和睦する。しかし、再び挙兵すると、「織田信長」から追放される。
同年、「一乗谷城の戦い」で、朝倉家は滅亡。「小谷城の戦い」では、浅井家が滅亡している。
木下秀吉は、浅井・朝倉との戦いに大功をあげている。

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▸ 木下秀吉、浅井氏の旧領江北三郡を拝領

「浅井家」滅亡後は旧領の内北三郡を拝領し、大名格に。木下姓から、羽柴姓に改姓しています。
三郡の中心である「長浜城」は、秀吉の「城下町」経営の基礎となっている。
「鳳凰の章」追加要素の「城下町」とかけている部分はあるのやもですね。
この時期に福島正則、加藤清正、石田三成などの人材を子飼いの武将として登用している。

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*この時期で、「木下秀吉」は一角の武将として活躍しています。
その功績から、近江三郡を与えられ、大名と同格の武将となっています。
自領「今浜」を「長浜」へ地名変更。「木下」姓から「羽柴」姓へ改姓しています。
心機一転、さらなる飛躍への想いの現れでしょうか。

*「秀吉戦記」候補となる合戦は「金ヶ崎の退き口」が有力候補か。
退却戦という燃える展開。明智光秀、池田勝正、徳川家康辺りとの共闘もできます。
ただ、独眼竜の野望が、人取橋>小田原>関ヶ原と超展開だっただけに、
オールカットしかねないですよね・・・・・・。

Ⅱ期-②へ続く。

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[ 2011/12/28 07:04 ] 豊臣秀吉 | TB(0) | CM(0)

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