ブログパーツ ばるさん 2009年10月21日






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信長の野望onlineにおける「首都」の変遷

 そもそも騒乱の時代で統一された政府があったわけではないのですが、信長の野望onlineにも「首都」と呼ばれた町がありました。極端にPCが特定の町に集まる現象があり、特に無印時代から破天にかけてそいった現象が見られました。理由としては2つの要素が考えられます。移動と商売です。

 今では馬借やかわら板を利用した移動、強行の隊列などでやや改善はされてきてはいますが、当時は今と比べると移動が大変でした。神職の方だとまったく面識のない方から、「行進曲よろ」とか対話された経験がある方が割といるんじゃないかと思われます。移動がしにくいので主要な狩場が近いところに人が集まりました。楽市楽座のような自動販売システムもなく、pc間での取引しかありませんでしたから商売人の方は人が集まるところへ行商へやってきます。これらの要素によって「首都」といったものが形成されました。当初は東に狩場が多かったため甲府、続いて狩場が西になると、稲葉山へと移転していきます。

 「100人乗っても大丈夫」という「稲葉」物置のキャッチコピーがありますが、信長の野望onlineの「稲葉」においてはそれは通用しませんでした。稲葉山時代の最盛期ともなると数百人のpcが集まりました。その過剰な負荷のために稲葉山に入ると、ゲームが停止したり、pcが見えなくなるといった現象もみられました。商売熱心(?)な方は特殊なマクロを組んで、一定時間でくるくる回る売り子などを設置していた方もいました。あんまり関心する行為ではありませんが、敵対する勢力のpcに警護兵NPCをぶつけるといった光景もありました。

 争覇からは「九州三国志」の舞台が、堺ということで実装当初は堺に人が集まり出しました。しかし、移動システムが改善されたり、楽市楽座も実装されたり、pc人口の減少によって一極集中といった現象はあまり見られなくなり、「首都」といった概念はなくなりつつありますね。当時、稲葉山で暮らしいていた、古参の方には少し寂しいことなのかもしれません。

<追記>過去のことを思い出しながら書いたのですが、一部その当時の実情と違う点があったのでそこを修正いたしました。

<支援中>リンクさせていただきました!
仙道さんの戦国日記
嵐鯖でプレーされているそうです。こまめに更新されているみたいなので、毎日チェックです!

<支援中>紹介していただいているようです!
つちいろ屋 雑記帳
うちのネタブログで役にたつ要素があるんだろうか。。。


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[ 2009/10/21 00:37 ] 【コラム】 | TB(0) | CM(9)





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